★このサイトはwindowsのみに対応しています。他のOSでの画像の崩れなどご了承ください。表示→文字のサイズ→(中)でご覧下さい。
マスク(19/01/03)
 ビル群があたりを覆う。しののめ。すべてひっそりとしているのだが、車の排気ガスだけが 人の呼吸を白墨で書いたようにあたりに流れる。かえってそれが密やかさを増しているのか もしれない。真冬の6時。星の瞬きがネオンサインにかき消されて、詩的な風景とはどう見て も言えない。

 学生街の駅前とあって、8時頃まで人通りは少ない。いるのは、独り言を言いながら同じペ ーブメントを何度も往復している垢で汚れきった顔の男性。箒をもってほとんど毎日道路のゴ ミを掃いている、たくましいおじさん。日雇いの仕事の手配師らしき旦那が来るまでたむろし て待っているリュックをしょった男達。彼らはほとんどが今ホームレスと呼ばれている人たち だった。

 ロータリーにバスが入ってきた。始発だ。それと同時に誘導員が息せき切ってバス停に走 ってくる。始発からの誘導なら遅刻寸前の若者だ。ただ運転手一人でもまず事故は起きない 。人は数えるほどだ。そんな場所での仕事。誘導員がいなければ法的に違法といった、形式 的責任者といってもいいのだろう。まるで火元責任者は誰?を明確に知らせるだけの札みた いな。

 明るくなってくると一斉に鳩が集まってくる。もちろん白いひげを生やした爺さん目指してで ある。頭、肩、手の甲にまでのって餌をついばんでいる。初めてみたものはその鳩の数のす さまじさに驚くだろう。野生の鳩と爺さんはまさに仲間だ。残飯を分け与えてすっかりなついた ようだ。鳩の糞の被害があちこちで聞かれているが、仮に彼が当局から依頼されて、毒物混 入の餌を与え続けたら鳩害もしばらくはなくなる。しかもその毒の入った死骸を食べるものが いたら…例えばからすも全滅するに違いない。一石二鳥の撲滅作戦だ。いつもあれほどいる 鳩なのにほとんど死骸をみないのは、生態系のなせる技か、からすやネズミの餌になってし まって一切の死体の影も形もみたことはない。

 ある日、白ひげの爺さんがマスクをしていた。風邪でも引いたのか。鳩にうつるとでも思って いたのか。いつものようにパンの端切れなどをちぎっては投げていた。しかしその日はいつも と違っていた。その町だけでなく隣町またそのとなりの地域などにいたと思われる鳩が集合し たようなのだ。すさまじい数に、交番も騒ぎになったほど。車は前方の視界が遮られたり、通 行人は手で払うより避ける手はなかった。からすでなかっただけ不気味さは半減したものの 、ただ気になるのは白ひげの爺さんが見えなくなったのだった。あまりの鳩の数に見えなくな っていたのかと思うのだが、いつもいるはずのペーブメントにはいない。
「大変だ、いつもの爺さんが植え込みのなかで鳩につつかれている」

 バス誘導員の若者が、仕事そっちのけでロータリーの植え込みに飛び込んでいった。
「早く救急車を!誰か、早く!」

 いつもにこにこしていた白ひげの爺さんは、目の玉を射抜かれ流れる血で真っ赤な顔をし ていた。でも、やはりにこやかな顔で、タンカーに乗せられていた。その日の晩、かわいそう な爺さん、見舞客もなく死んでいった。

 バス誘導員の若者は、それを聞いた翌朝、植え込みに花束を手向けた。愛したものに裏 切られた無念さを爺さんは、それでも許したのだろうかと思いながら。植え込みに、その日だ けしていた爺さんの白いマスクだけが残っていた。涙腺が麻痺するほどの白さだった。
(了)19/01/28
「ハッカー」12-12-12
 少年、明は二人とも好きになってしまった。先輩の新婚夫婦、二人ともだ。尋常ではな い自分の恋心。信じられなかったがどうしようもなかった。若さにかまけて妄想に駆られ るとき、たとえば、二人の男性女性そのものにエクスタシーを覚えるのだった。
 記憶が曖昧な頃の母の乳房の感触。大きな背中の父のたくましさ。ひげが頬にふれ たときの心地よさとお風呂に抱かれて入ったときの父の股間のぬくもり。それらが混在 して明の感性を作っていたのだ。
 環境ホルモンの影響とかは、明にとってどうでもよかった。好きなものは死んでも好き なのだから。宇宙の謀略で人類異常繁殖のあと破滅であろうとなかろうとどうでもよかっ た。
 算数の天才といわれた頃からパソコンにふれていた明はウェブ上だけで二人を引き 離す作業をしていた。自分一人だけのものにしたかったのだ。二人とも。二人が愛し合 ってはならなかった。自分が中継点でなければならなかった。プロバイダーだ。そしてつ いに明は現実のハッカーになれると確信するに至ったのである。
「I love you ? あんなウィルス簡単に作れるさ、僕じゃないけどね、あの事件は」
 パソコンなんてばかだもの、などと付け加えて話すのが明の癖であった。パズルサー クルでは明を「教授」と名付けているほど。まだ高校入学したばかりだった。
 中学校からのお姉さんは歌を明に教えてくれた。その彼女の友達が兄ちゃん。マラソ ンの選手だった。いつも学校では抜群の一位だった。大会があるときはお姉さんと必ず 応援に行ったものである。
「まずキーワードを限りなく羅列する。二人の共通のものだ。その中でお互いにないもの を探し出す。そして・・・」
 明はつぶやきながら帰路に就く。呼ばれていく夕食をすますたびに。
「新婚さんなんだから、いくら誘われると言っても遠慮しないといけないわ」
 母親の言葉も悠然と切り返す明だった。
「二人とも僕を愛してくれているんだよ。信じられないだろうけどほんとなんだ。僕も好き なのはもちろんだけど」
 この子は、まあまあ・・・。軽く受け止めていた母親も、尋常でないことに気づくのはい つのことだろう。
 冬間近の寒い晩だった。
「すき焼き鍋なの。食べにこない?」
 携帯にメッセージが入っていた。明はお姉さんをまずウィルス感染させるチャンスと、 決意していた。きっと計算通りのはずである。果たしてその日は兄ちゃんが出張で留守 の日であった。
「頭の後ろの方から声を出すように、もちろん下腹部で声を支えて」
「カラオケがはやってて、僕のは味がないって。歌曲聞いてるんじゃないって言われる」
「いいじゃない。基本は歌曲なんだから。演歌だって、若者の歌だって」
 歌の談義の中にすき焼きの甘み辛みが解け合う。明の頭の中は攻略のキーと恋慕 のキーとそして妄想のキーが混在する。
「ほんとにきれいな声なんだ、お姉さんの声は。歌うときも話すときも」
「本当はそうだといけないんだけどね。歌と地声は別物なんだから。いいか、専門家に なるわけでもないから」
 聞きながら、笑いながら、彼女の透き通った首筋の肌を見ながら、明はすべての言葉 を一つのキーワードに変換していくのだった。
 そして一番の難関。「思い」という情念の変換実行がわかりかけてもいたのだった。
「僕はどうしてもお姉さん好き。そして兄ちゃんも」
「?。明君、少し酔った?いきなりどうしたの。そんな真剣な顔をして」
 お姉さんは味のしみこんだネギをほうバリながら、怪訝そう。そういえばビールを二人 で3本飲んだようだ。
「兄ちゃんがいればもっとビールも進んでるけど、でも二人でこれだけ飲めば・・・」
 自分の夫を明と同じ兄ちゃんと呼ぶ。彼女は明を、もちろん弟のように扱っている。明 の火照った頬には緊張したものが漂う。
 自転車は夜風をまともに受けて疾走していく。少し涙ぐんでいたがそれは冷たい夜風 と暖まった自分の体のつゆ現象だ、と明は思う。なにも悲しむこともないのだ。でも正常 な恋とはこんなものなのか、と彼が思ってみたかどうか。
 兄ちゃんに誘われてドライブした。お姉さんが実家にいるのを迎えに行くためでもあっ た。
「お姉さんなにしに行ったの。里へ帰るって意味は、僕でも知ってるよ。けんかでもして たの?」
「いや、ちょっとホームシックにかかったんじゃないか。ここのところずっと行ってなかっ たから」
 兄ちゃんはターボエンジンを吹かし、タイヤの音を大げさに立ててカーブを切る。
「かっこいい。兄ちゃんいつもお姉さんとこうしてドライブしてるの?僕だけの兄ちゃんな のにな。女の人は車の振動よくないんだよ。肉体的にさ。特に満月の時期は変調を来 すんだ」
「天才明が、また始まったな。いいよ僕はいつまでも明を愛してるから、お姉さんの次に な」
「・・・・」
「どうした。黙り込んで」
「いやだよ、ぼくがいちばんだっていってほしい」
「わかった。そんな悲しい顔をするなよ。いつでも明だ、ずっと」
 しばらく車の中のよどんだ静寂。明は頭の中でキーを打ち続けていた。兄ちゃんは、・ ・・そう、実家へ懐妊の知らせに行った妻の体を思い浮かべていたのだった。
  
 一ヶ月後。明は原因不明の腹痛で入院した。
「盲腸ではありません。それに悪性のものとも考えられない。しばらく様子を見ましょう」
 医師は検査結果を母親に説明する。明はおぼろげに聞きながらベットで半睡状態。そ して記憶をたどるように頭の中のキーボードを軽くたたいていた。
 すき焼き鍋の晩、お姉さんは僕を許してくれた。明るく笑っていながら、僕の腰を力一 杯抱いてくれた。計算通りに結ばれたのだ。でも「兄ちゃんには内緒」の一言が僕の計 算誤差だったけれど。
 そしてあの日兄ちゃんは、寂しそうにしていた僕の顔をのぞき込んだかと思うと、車を 止めて、まず優しく抱いてくれた。そしてリクライニングで横になり念願だった兄ちゃんを 、僕はしっかりと受け入れたのだ。兄ちゃんのエキスも僕はすべてもらった。これですべ て計算通りだ。そう愛のプロバイダーになれたのだ。お姉さんの子供は僕の子供。兄ち ゃんは僕がいなければお姉さんと仲良くはできない。中継者がこれからすべて操る。規 則も規約も。秩序が乱れるからだ。愛という名の秩序が。
「明おきてる?お姉さんよ。今日はすてきな本のおみやげ」
「・・・・・」
「痛みは取れたの?もうじき退院できるって言うから、よかったね明君」
「どうしたの、明。夢でも見てたのね。ぼんやりして」
「・・・・・・」
「それにしても原因不明の入院騒ぎ。お騒がせしてしまってねえ」
 明の母はお姉さんに言うともなくつぶやく。そして「おなかの赤ちゃんは順調のようでな により・・・」と続ける。明はお姉さんの顔を眺める。そしてまるで達観した男のような声で 、
「もう大丈夫だ。僕のは想像妊娠だったんだよ、お姉さん」
 といった。不思議な空気のよどみが病室を占領していた。お姉さんと、母親は一瞬顔 を見合わせる。
「なにをばかなことをいって、この子は・・・」
「明君は宇宙からの使者だね。お姉さんだって明がいなければ、そうよ兄ちゃんと巡り 会えなかったし、彼だっていつも明はどうしてるなんて口癖、いまでも。だから早く元気に なって毎日遊びにご飯食べに来ようよ、三人でわいわい。これから四人になるけどさ」
 お姉さんは宙を見つめたままの明の目を見つめながらしゃべる。明の目から少しずつ 流れている涙を追いながら。
「僕は夢でしか人の心を操作できないばかな人間。せいぜいパソコン相手のオペレータ ー。お腹の痛みより、なぜ僕が泣かなければいけないんだ。なぜ涙が出てくるんだ。教 えてよお姉さん、母さん。僕はなにも誰にも逆らってなんかいない、なのになぜこんなに 涙が独りでに・・・」。それが一番つらいし、そうお腹なんかの痛みよりもっともっと痛いん だ。と明は呻くようにつぶやくのだった。
<おわり>2001/01/04