エドワード佐野「掌編小説集」バックナンバー
■パートの品格?(19/04/08)
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■弁当…鎮魂をこめて(20/02/28)
■ティッシュ(20/01/06)
パートの品格?(19/04/08)
 ハケン社員の物語がテレビドラマになっていた。そのタイトルもハケンの品格。派遣 社員のプライドみたいなものを、若手アイドルが演じているドラマだ。
「ドラマのようにはいくまい」
 山田は呟きながら、夜行チョッキに名札をつけた。「都営バス誘導員の証」の下に 名前が大きく表示されている。
東京大学裏庭に当たる構内ロータリーは、朝は閑散としていた。銀杏の木が正門ほ どではなかったが点在している。新緑。まだ肌寒いが、春のいきれが山田の顔辺りに も漂う。日曜日はこの東大構内のバス誘導が山田の仕事だった。
 ここの利用客は東大生、職員、教授達。平日は混雑するが日曜日は静かだ。ゴミ の片づけとあたりの清掃。「駅前での誘導仕事はほかの人でいいとしても大学という 場所柄、あなたが適任と上司からいわれてね」などと直属の担当におだてられた山 田、しかし大学卒ではない。受験経験はあるが挫折した。
 たぶん一緒に勉強した昔の同級生など、何人かはこの東大に残っていたはずだ。 でも今こんなところで出会っても、お互い顔など忘れているだろう、と山田は思う。見 られてもいいが、照れくささもある。「ここで仕事?」などといわれたら…。
 東大に進んだ中学の友は、今教授になっていると聞いていた。彼は天才だった。自 分は単なる、通り一遍の優等生だった、と山田は振りかえる。品格が人生形成の骨 格だとすれば、山田は自分の軟弱な骨格人生を自覚して苦笑する。品性ある彼は教 授、自分はバスの誘導員。しかもパートタイムで、収入は彼の5分の1くらいだろう。
 午前9時丁度のバスが、到着した。果たして、中学の友、佐藤は昔の面影皆無で降 りてきたのだった。
「お疲れ様でした、東大終点でございます。ありがとうございました。足元お気をつけく ださい」
 山田の声を聞きながら、佐藤は何人かの乗降客と一緒にステップを降りて行った。 しかし二人はお互い気がつきはしない。十代前半だけの勉学友達、50年後の今、ひ とりは、グラビアに出てくる白髪のアインシュタイン、ひとりはまるで工事現場の赤い 信号灯を持ったおじさんだったからだ。
 
「あと七手で4,3(シサン)。僕が勝つよ、山田君」
「何でわかるのそんな先まで!不愉快な佐藤め!」笑いもこめてはいたが、山田にと って悔しいのはいうまでもなかった。
 4,3の状態達成が勝ちの碁目並べでも佐藤は山田には信じられないほどの先手 を読むことができる。きっちりなぜか七手で山田は負けた。天才佐藤は、数学の定理 、たとえばピタゴラスのそれを証明しようと昼休みなど必死に鉛筆を動かしていた。も ちろん授業中だって、理科や数学の先生などに、鋭い質問や高度なジョークの入っ た回答を、浴びせていた。
「でも山田君には、僕にはない感性がある。なぜあんなに絵がうまいの?何で音楽の 成績がいいの?国語だって先生にひいきされているほどだし」
 少年佐藤は同級生山田を敬愛していた。いつも吹奏楽のクラブ活動で遅くなる山田 を待って、一緒に下校した。ついに、ある日山田は言ってしまう。
「何待ってるんだよ、とっとと先に帰れよ!数学には負けるけど、他は俺のほうが勝 ちだ。お前になんか俺には興味はない」
 山田は、やはり粗野だった。担任にひいきされて、クラスの中でも一見人気者のよ うに振る舞いそして学級委員になり、がり勉でいつも試験は一番。佐藤はといえば予 習復習などしなくても、山田と同じ位か、数学などは、彼以上の成績だった。それを体 で感じていた山田は、佐藤からの友情を、もてあそび、食い散らし、はき捨てた。
「俺はお前なんかより先生にひいきされているんだ、優秀な生徒とは俺みたいなもの なのさ」
山田の下品と天才への嫉妬を含んだ傲慢さは、そのまま生涯続くこととなったのであ る。
 
 アインシュタインは、山田を自分の視界に入ってきた一つの風景として一瞥し、誘導 員は、白髪の教授佐藤を一乗客として、見送るばかりだった。事務的に会釈しあう二 人の朝のシルエットだけでは、過去からのそれぞれのドラマは見えまい。二つの影は それぞれに仕事の部署に分かれていった。
 昨日の帰りに梱包しておいたゴミ袋が、案の定カラスによって破られていた。
「二重にしておいたのに…」
 乗務員の食べた後のごみなどを毎日片付けて、収集車に渡すのもバス誘導員山 田の仕事だった。
 佐藤はといえば、重い足取りで自分の研究室へと歩く。資料の整理がある。
「日曜日なのに…」
 何人かの助手には休日は休んでもらっている。これといった学問的発見が枯渇して いる今、研究生を嘗てのようにあごでは使えない。
 しかし佐藤はいまや教授。山田は再雇用のパートタイムだった。
 からすが営巣のためのゴミをくわえながら、二人の上を掠め飛んでいく。そして一陣 の春風が、東大構内バスロータリーを囲む銀杏の梢となにやらの二つの品格をなに 区別なく包んで、通りすぎていった。(19/06/12)
弁当…鎮魂をこめて(20/02/28)
「我が家には、食器類は何もない。紙コップの部類だけだよ」
 青年はそういって笑う。何のかげりもない。
「子どものときは親御さん、食事作ってくれなかったの?」
 
 外回りの清掃業務のおばさんはいぶかしがる。青年にすれば年恰好は自分の母親く らいだ。
「いいからこれを食べな、もうじき昼休みだろ」といいながらおばさんはじっと青年を見詰 める。今朝作ってきたばかりの弁当だ、自分の息子と同じもの。たっぷり白米が入った、 かき揚丼もどきの甘辛の味である。
「おばさんはコンビニ弁当を買ってくるからさ」
「ご馳走様、ありがとう。なんだかいい匂いがもれてくる。僕がおばさんの弁当買ってくる よ、お返しに」
「いいのさ、そのつもりで作ってきたんだから」そういうとおばさんはにこりとして、休憩を 有意義に使おうと青年の差し出す椅子に座り込んだ。

 建物内部の各階警備点検係りの青年は35歳。コンビニか外食専門の生活。母親はい ま植物人間で、入院中である。今月中に、いまはやりの、どこか他の病院へ転送処分で ある。
「死んでもらうしかないのさ」さらりと、笑いながら言う。
「お金がないし、仏(ほとけ)も市役所に申請して、無縁仏」
「生活保護でも受ければ病院での待遇がいいと聞くけど」
「そう、相手が自治体なら病院も、絶対に取りっぱぐれはないからね」。

 青年は言いながらさらに疑問もなく笑う。
「君を生んだ母親だろ?」確かにそうであった。子どものころから家庭って何だろうと問う ことすらしなかった。おばさんは、清掃作業の途中、一汗かいた後の一服で同じような下 請け警備業の青年の話しを聞く。60年以上様々な世界をわたってきたが、彼のような人 種は初めてだったかもしれない。同情と興味の好奇心が生まれる。
「子どものときの食事はお母さんが作ってくれたんじゃないの?」
「おいらは、生まれたときから心臓の病気でずっと病院だったし、兄ちゃん一人いたけど 、中学入学ころから家に寄り付かないで家出。今どこにいるかわからないって聞いてい る。もともとお袋、家事は全くだめで、親父もそれが原因かどうか知らないけど、いつの 間にかいなくなったらしい」

 まるで童話の世界か、創作の昔話みたいに、清掃のおばさんは聞く。
「おいしい弁当だあ、毎日食えたら最高なんだけどな!」
「たまにならね」

 おばさんは前から気になってはいたのだが、本人の病気の状態も知りたかった。 
「例の生まれたときからの君の病気は、その後どうなの?心臓のほう」
「障害者1級手帳交付してもらってるから、労働禁止なんだけど、平気、死ぬまで仕事す るつもり。生活保護って嫌だし」 
昼休みのラジオから不正生活保護需給者とか、ワーキングプア、ネット難民とかの番組 が盛んに流れていた。
小春日和の建物の一隅は、陽の光が二人を包み昨日の続きと明日への準備が混在し て何事もないひと時であった。

 あっけらかんとして笑いながらの青年が死亡したのは、それから数日後、雨の日のこ と。清掃のおばさんは、久しぶりに持ってきていた彼への弁当を、無駄にならないように 静かに食べ始めた。建物内部で行きかう大手企業の人も、いつもと同じだった。
(20・9・26)
ティッシュ(20/01/06)
 心からプレゼントしようと思う。相手の目を見て、そしてこちらの手の温みを感じさせる こと。その暖かさは信仰心に似た、自愛の心といえば大げさだろうか。そうすればほと んどの人は受け取ってくれる。ポケットにたくさんあっても困るだろうが、携帯にはなくて はならないものだ。小田島は、街頭に立って、宣伝のティッシュを配布する仕事につい ている。仲間には誰にも負けない喜びを得ることができると自負するようになった。
 
 カフェから出てまず本部へ行く。必ず割り当ての倍をもらう。いつだったか本部の者が 倍も持っていく彼の様子を見にきていたようだ。小田島は不正などしない。生まれたて そのままの性格で30年近く生きてきたのだった。

 豊かではない親の元から上京して、自活。10年余りだろうか。時にはこちらから弟た ちのために送金もした。アパートでは家賃が高いので、今はカフェ暮らしだ。不自由は ない。
「こんなものいらねえ」と激しく拒否していたいつもの勤め人風のおじさんが、「今日はく れないのか?」といいながら手を出して微笑んでくれたときは、小田島は初恋の相手を 思い出す。デート約束の承諾をもらったときの興奮と同じだった。

 しかしある日、突然バイトの解雇を言い渡された。その仕事はまだ3ヶ月に満たない。 よくあることで驚きはしなかったが、大手金融業者の宣伝ティッシュだっただけに不思議 に思うばかりだった。時代の流れは激しかった。全国にあった支店を半減したらしい。と りあえず、ほかの派遣会社にあたってみるしかない。チラシ配りからティッシュに変わっ てまだ間もない。大きな声を出すのは同じだったが、気持ちを差し出す重みがなんとなく 違うのだ。

 カップラーメンとドリンクとアルバイト情報誌を買って、いつものネットカフェに入る。こ の生活にメディアで取りざたされるほど不満はない。もともと自分にあった生き方だった 。健康体力には自信がある。ティッシュ配りがいまや気にいった。まだ続けたい。

 情報誌は求人であふれ返っているが、続けたい仕事はなかった。隣のボックスでなに やらうめき声。自分よりかなり若いカップルが抱き合っていた。よくある光景だ、ラブホ テルより安いし。

 右から左へという発想がある。小田島はわかっていたがなかなかできないで腐ること が多い。会社側の言い分など、聞き流せという今まで出会った先輩や同僚からの処世 術だ。いちいち気にしていたらストレスがたまるばかりだ。しかし注意を受けると、考え 込むたちだった。無視できなかった。解雇された理由も自分に瑕疵があったのか、とサ ラ金の広告の入ったティッシュを見ながら自問してみる。

 何人かは残っていたので、なぜ自分が解雇かと思う。きっとただの業務縮小の流れだ とは思うのだが、と考え込んでしまう。

 田舎の親たちに送金もして、しかも彼にはやることがあった。刺青・入れ墨・TATTO芸 術だ。田舎の銭湯で見た背中に彫られていたのぼり龍。たちまち当時、少年小田島の 心を捉えた。見知らぬ男をじろじろ見てはいけないと一緒だった父親にたしなめられた が、いたたまれなくなり、そばに行って背中に触れた時の、うれしかった興奮を覚えてい る。なぜか見知らぬ男はやさしく笑うばかりだった。そのやさしさと狂うように踊った龍の 刺青とがなぜか同義語に、感じたのだった。

 刺青職人としては、何人かの小さな仕事を親方からもらったが、まだまだ始めたばか りと同じ勉強中だと小田島は思う。広告の入ったティッシュ配りがなくなれば、また中断 しなければならない。田舎への送金が途絶えること以上につらいことだった。父母、特 に父は刺青の勉強を応援してくれる。それだけに少しでも見入りと生活パターンが自分 にかなった仕事を選ばなければならない、仕事の重みを感じ始めたティッシュ配りだ。  自分も受け取る人も、心で喜べる。タトーも血が踊っている肉体に書き込んでいるとき は震えが襲ってくるほどの喜びを依頼主と共有できる。やはり、それは信仰心に似た、 自他共の愛の心といえる様な気がする。

 携帯電話で最後の求人会社に電話をする。抑揚のない声で、「来てください」の返事 だったが、ティッシュ作業ではなかった。軽くセロファンから伝わるぬくもりが、人の皮膚 になんとはなし似ていて、小田島は握っていた昨日までの仕事の残りのティッシュを握り 締めると、「仕方ない、行くか」とつぶやいて、ゴミ箱に放り込むのだった。
(20・01・06)
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