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公開するほどでもない、といって隠しておきたくはない。個人情報大公開!ご笑覧のほど。履歴書です。
佐野義也 2018/10/04現在     
■1945年8月30日終戦直後、疎開先長野県上高井郡綿内村の父実家のりんご畑一隅の「納戸」にてイエスみたいに?生まれおちる。 何とかの子沢山で、10人目の末っ子。横浜唐沢の本籍(記憶なし)から神奈川県逗子そして綱島の市営住宅に移り小学校から高校まで生活。物心ついたころから、大げさに言 えば生まれてからすぐ絵ばかり描いていて大綱中学校のころには、早く社会に出てデザイナーにと神奈川県立神工デザイン科へ、 貧困家庭により奨学金推薦借入りにて進学。これが新入生代表となる成績。その偶発的事実が、以降間抜けな逆トラウマ(精神的外傷で はなく自負・うぬぼれ)となっていく。

■学業履歴は大綱中学校卒・神工高デザイン科卒・そして、人生後半ごろ放送大学入学「人間の探求」コース専攻、神秘学哲学を在学限 度の8年まで履修。自動退学。

■平成19年7月の年金未記入問題の時期に調べた職歴
・神工新卒(金の卵時代)で株式会社ヤシカ(現京セラに吸収)新聞広告の制作課勤務2年。憧れのデザイナー第一歩?

・美大受験(芸術学)挫折の後、ちろりん村とくるみの木で知られた「劇団ちろりん」美術製作 勤務 3年。 (年金対象外)

・平林七宝にて七宝焼きの流れ作業の仕事・日本アイデアセンターにそれぞれ半年ほど。(年金記入漏れというよりまったくの短期アルバ イト)

・荒玩工業(株)にてぬいぐるみ(パンダとかスタンディングバニーとか)の試作品制作。

・インターナショナル共同(株)にて広告代理店営業制作マン。ここにて伴侶と出会う。

・結婚に際して収入アップを図るため寺岡はかり(株)にて飛び込みセールスマンに転身。 3年ほど勤めた後、

・昭和50年5月 はかり文具販売・印刷デザイン業・健康食品販売の自営「アートオフィス佐野(佐野商会)」を甲州街道際に店舗設立。以降、サイドワークとして、プラスチック成形加工会社にて夜中の勤務半年・警察大学校の食堂にて早朝皿洗い1.5年・競馬新聞配送半年。

・平成18年11月よりバス誘導の仕事に従事(20年現在おかげさまにて基礎年金受給資格取得)。

・平成29年6月より近所にある葬儀社「株式会社メモリード東京/飛田給 」にて警備業務パート社員に採用され現在に至る。

        
■純文学志向の同人誌「天秤」は不定期発行。文芸春秋社刊「文芸年鑑」にて活動詩誌としていつの間にか紹介文掲載され、以後継続中。 雑誌「文学界、文芸、小説新潮」新聞「週間読書人、日本図書新聞、赤旗日曜版」などの 同人誌評にペンネーム於知良哉・義谷大輔として何度か取り上げられた実績あり。

■既著書・河出書房新社「アマオケえれじい」(1987/11)。全国の図書館で買っていただいたとの報告あり。少なくも調布市、府中市、新 宿区各図書館では確認。(現在絶版)

■中学校のブラスバンドでクラリネット。同時にフルートを始める。独習の後、鳴上亜希子(マルチフルーティスト/フリー)・星川龍二(元東 響首席奏者/桐朋音楽大学講師)に師事。

■昭和56年2月に調布フィルハーモニー管弦楽団を設立。後進に任せた後「室内楽・ハーモニクス」を主宰。ジャンルを問わずたくさんの仲 間(プロ・アマ)と出張演奏などイベント出演している。

■自主演奏としては毎月最終水曜日、近所の老人ホームにて「ミニコンサート」を実施。

■画歴40年余。昭和39年6月より現代美術家協会(現展出品)準会員の後、会費負担増のため脱会。以後画廊喫茶などにて、個展開 催。現在はインターネットでネットギャラリーや、佐野商会店舗などにて、新作発表中です。
■ルドルフ・シュタイナー「自由の哲学」 他全著書:
あるピアニスト兼音楽教師に教育学者シュタイナーを紹介されて以来のファン。神秘学を科学的に解説している業績に感動。ゲーテを師 の一人として仰ぐ彼の書を、歌手の谷村新司も愛読していると最近になって知る。シュタイナー学校設立はあちこちで聞かれる今日この 頃ではある。実証主義の今の学問形態に神秘学ははじきだされているのが、残念である。 シュタイナーに出会った後、神秘学と宗教・哲 学など履修のため小生は放送大学「科学と宗教」などを修学した。ちなみに成績は優でしたぞ。(笑・通信簿現存)

■鳩摩羅什「般若心経」
1200年もの歴史のある空即是空。以前は毎日写経をしていたくらいであった。今は唱えるだけだが、プラス思考になるためには、一番 いい。しかし最後のくだりは、「亡くなったかたがた、どうぞ成仏してください」とある解説にはあるが、その部分を「生かしていただきありがとうございます」と読み直したほうがいいといわれたので それを今では採用している。墓参や葬儀の時などはその文言を唱えている。我が家の禅宗の寺も法事のときなど、般若心経が入った経を唱えている。
■筑紫哲也:
20歳前後のとき、「朝日ジャーナル」を愛読していた。そのときの編集長が彼だったか、当時は学生に大いに影響を与える仕事をしていて 、今は全国区のテレビのキャスター。国民の60パーセントに何らかのものを与えているだろう。羨望の的だ。世に指揮者が一番の職業とい われているが、なんとそれより筑紫哲也ほどうらやましい職業の男はいない、ベストドレッサーだ。ちなみにわがサイトの些事争論は彼の「 多事争論」をもじったものである。いまやたくさん出回っているが、この「些事争論」小生がいち早く始めたような気がする。彼は、肺がん治 療後平成20年11月7日逝去。享年73歳。合掌。

■小泉純一郎:
占い好きの小生、これも算命学の統計によると星周りが小生と同じ、王様だという。単にそれだけの理由だが、政治志向はまったく別として 、あの小気味よさはいい。しかも政治家にめったにない?オペラ観劇趣味保持者。悪巧みにしてもいつまでも影で操作できる力は悔しいが うらやましいほど憎い!誤解のなきよういっておくが、政治思想は、小生、いつでも反体制である。本当の野党党首が現実での私にとっての 王様である。

■ジェームスゴールウェイ:
アイルランドの指のマジシャン・フルーティストである。ほとんどリサイタルは行ったことのない私だが、彼のだけは公開レッスンから、本格リ サイタルまで何度も行っている。フルート演奏での切ない高音、人の声かと聞き間違えるほどの低音の響きは、たとえ毎日練習しているとは いえ自分は死ぬまで真似はできないだろう。同じ人間だというのに。

■高倉健:
彼の主演映画を見て帰ると極道に成ったような、鉄道員になったような、…そんな単なるミーハー的発想からである。彼ほどの容姿端麗だ ったら、占いやおまじないの類で、願掛けなどしない人生が送れたであろうに。悲しい!うらやましい!まさに憧れであった。

■三島由紀夫:
10代のときから彼の文章中毒となる。コピー作業もした。ほかの作家のものは一切拒否をしてしまったくらい。14歳のときの「花ざかりの 森」は、ただ、その早稲さに驚くばかり。以後ほとんどの作品を読んだつもりだが、豊饒の海(読んではいない)のころから、離れていった。 男色嗜好から美への耽溺趣味・ラディゲ信奉などは肯定するが、才能がないから自殺したのかな?と勝手に思うようになってから、何をあ んなに狂ったのかと不思議なくらいだ。しかし、文学での基礎ベースを作ってくれたことには違いない。

■岡本太郎:
芸術は爆発だ!は軽薄人間なら誰でも飛びつくもの。そのうちの一人が小生。彼のためにわが人生狂ったかな?他人への責任転嫁の趣 味があるので勘弁してもらうとして、やさしい抽象絵画の描き方とか、芸術とは何かとかのさわりを教わったことは事実。20歳前後はアブ ストラクト専門だった。

■モーツアルト:
毎晩モーツアルト作品を小生、自主演奏している。フルートカルテットに出会ってから、軽い気持ちで夢中になった。フリーメーソン・第2楽 章・30余年の人生・オイデプス症状(父親コンプレックス)・借金三昧…これらは親近感のある私の好きな彼へのキーワードである。彼の作 った第2楽章は、どれもが霊界からの癒しメロディのような気がする。  
■これからも老若男女花鳥風月好きなものはすべて愛していく。健康に留意して、ピンころでバイバイ出来たらいい(笑い)。ピンぴん生きて、 ころりと死ぬことなり。